沿革
(兵庫県立看護大学10周年誌より)
1993(平成 5 )年
4月 | 開学:初代学長 南裕子先生に決定。 開学式・入学式 4 月 8 日。開学記念日 4 月15日。 |
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5月 | 大学見学会:1,000名程度の受け入れがあった。 | |
8月 | 大学行事として、公開講座・国際セミナーを位置づける。 | |
10月 | 第 1 回大学祭が計画される。 | |
11月 | 大学英語名称をCOLLEGE OF NURSING ART AND SCIENCE HYOGOとする。 | |
12月 | 課外活動として、冬季スポーツ課外活動計画が承認される。 特別講義として、大学設計者安藤忠雄氏の講演とパネルディスカッションを開催することが決定する。 |
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1月 | 大学入試センター試験、初回の受け入れ。 大学洋上セミナーの説明と参加の決定が行われる。 |
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2月 | 紀要英語タイトルが、College of Nursing Art and Science Hyogo Bulletinに決定する。 | |
3月 | 学生相談制度が導入され、4 ? 5 名の学生を教員が担当することとなった。 |
1994(平成 6 )年
4月 | 大学院設置が決定する。 体育大会が、計画、立案される。 |
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8月 | オープンキャンパスが開催される。 | |
1月 | 緊急会議が開催され、阪神淡路大震災の対策が検討される。学生の安否確認、教職員に人的被害無いことの確認をとる。国際セミナー中止。入学試験受付延長と電話・FAXでの出願受付を行う。救護活動が検討される。24日から条件を定めて授業を再開し、ボランティア活動従事届けを提出する。 学生への特別措置として、文書で、各学生に明示する。登校できない学生宅訪問開始する。 |
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2月 | 入学試験の特別処置として、追加措置としての特別入試実施を決定する。 学生の状況に合わせてスキー教室を実施。震災に伴う授業料・入学料の減免、特例入学考査料免除された。 |
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3月 | 交通機関の復旧状況を勘案して、始業10時の60分間授業とする。 |
1995(平成 7 )年
4月 | 授業: 4 月17日より平常授業に復帰する。 | |
12月 | 実践基礎看護学?の教授として、外国人(Patricia J. Larson氏)が選定された。 |
1996(平成 8 )年
10月 | 大学歌・徽章:第 1 期生の卒業を機に、公募により作成を決定した。 初回総合看護発表:スケジュール・論文構成・発表方法等を定める。 |
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2月 | 徽章:デザイン決まる。 |
1997(平成 9 )年
10月 | 大学歌:公募で進める。 | |
3月 | 大学歌:安水稔和作詞、中村茂隆作曲。 |
1998(平成10)年
10月 | 学位英文表記が学士(BSN)、修士(MSN)、博士(Ph.D.)となる。 |
1999(平成11)年
3月 | 大学統合案:県立大学統合案が検討される。 |
2000(平成12)年
1月 | 新県立大学の基本構想(理念・特徴)の審議。 | |
2月 | 附置研究所:附置研究推進センター構想説明。 |
2001(平成13)年
1月 | 新県立大学基本計画が承認される。 |
2002(平成14)年
5月 | カフェテリア運営を学生生協に委託する。 | |
11月 | 名誉教授:第 1 号の決定(パトリシアアンダーウッド氏)が、名誉教授第 1 号に決定される。 | |
2月 | 附置研究所:名称は「地域ケア開発研究所」となる。 新県立大学看護学部長(研究科長)に片田教授に決定する。 |
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3月 | 初めての試みとしての入学直後の相談体制として、新入生なんでも相談を設ける。 |
2003(平成15)年
7月 | COEとして認定される。「ユビキタス社会における災害看護拠点の形成」への取り組みが決まる。 | |
10月 | 国際交流の推進:県のワシントン州姉妹都市提携の一環として、ワシントン大学看護学部と姉妹校提携を決定する。 | |
12月 | 10周年記念事業がとり行われる。 |
2004(平成16)年
4月 | 兵庫県立大学開学 第一回入学式 |
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5月 | 開学記念式典 | |
12月 | 地域ケア開発研究所開設 |
2007(平成19)年
5月 | 兵庫県立大学地域ケア開発研究所が、災害看護のWHO指定研究協力センターとして認証される。 |